萬波ユカはミラノコレクションデビューの直前まで大阪でナース(手術看護師)をしていた

 
 
2015年7月にDONNAというハイファッション分野に強い
モデル事務所に加入したのち、当時のFENDIデザイナーである
カール・ラガーフェルド氏に気に入られて
2015年9月に、プロになってからわずか2カ月という
史上最速くらいのスピードでミラノコレクションにデビューし、大きな話題となった。
 
それも、出演したショーがカール・ラガーフェルド率いる
世界のトップブランド「FENDI」であったため、
そのニュースは世間に大きな衝撃を与えたと言われる。
 
 
そんな彼女は、事務所に入ってミラコレデビューする直前まで、まったく違う仕事をしていた。
 
 


 
 
様々なインタビュー記事などを参考にすると、
家族思いで地元・三重をこよなく愛する彼女は、
もともと人前で発表会をするような習い事を多数習っているような少女だったが
大学を卒業してから三重にて地域の役にたつために看護系の大学に進学。
(身長が高かった事などもあり、大学時代にはアマチュアモデルとしても活動)
ここで養護教諭・保健師などの資格を取得。
 
大学を卒業すると、プロのモデルになる事はなく、
大阪の病院にてオペに立ち合う手術看護師として働き始めた。
(彼女は1991年生まれのため、2014年春就職と思われる)
 
この職場で働く中で、人命に関する様々な出来事を経験。
 
そんな中で、
"人生は一度きりなので後悔のないようにしたい"
という想いが強くなり、知り合いのカメラマンを頼りに
病院での1年間の勤務を経て上京。
 
すると、うまい具合にDONNAという海外との強いパイプをもつ
大きな事務所に加入する事に成功。
 
事務所側は、高いポテンシャルをもつ彼女を新人ながら
大きくバックアップして海外に売り出すを事を決める。
 
 
 


 
 
そして、事務所加入食後にFENDIの来日ショー(オートクチュール)に出演
9月にはミラノコレクションにFENDIのショーに出演という快挙を達成。
 
カール・ラガーフェルド氏には、
その美しく長い黒髪などを強く気に入られており、
その後もカール・ラガーフェルド氏の
LIMITED EDITONという日本の百貨店とのコラボブランドの
イメージキャラクターに起用されるなど
FENDIのミラノコレクション出演をきっかけとして、
世界のトップモデルとして活躍し続けている。
 
 
時系列から考えると、
ミラノコレクションデビューの5カ月前くらいまで
大阪でナースとして働いていたとみられており
2015年という年は、彼女にとって激動の年となった。
 
 
 
FENDIのオートクチュール来日ショー出演を報告するインスタ投稿

 
 

 

 
 
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