世界遺産・富岡製糸場は渋沢栄一の尽力により設置された官営施設

 
 
群馬県の南西部に位置する富岡製糸場という繊維関連施設跡は
2000年代まで特に全国的に有名な場所というわけではなかった。
 
しかし、2013年の富士山に続いて2014年に世界遺産に登録されると、
一転して国内外から大きな注目を集めるスポットととなり、
短期間の間に群馬県を代表する観光スポットへと成長。
そして富岡市や群馬県に対して大きな経済効果をもたらしている。
 
そんな富岡製糸場の設置には、ある話題の人物が大きくかかわっている。
 


 
 
その人物とは、2024年から使用される新1万円札に
肖像画が描かれる事が決定して知名度が急上昇した渋沢栄一
 
 
明治時代初期に政府は当時の日本にとっての大きな輸出物であった
生糸を大量生産するために群馬県南西部に巨大な官営工場を作る事を決定。
 
そんな中、埼玉県北西部の出身で、
家業が養蚕関連の事業をしていたというゆかりがある
当時の大蔵省関係者・渋沢栄一は、
伊藤博文などと共に新たに作る製糸場の設置主任に任命され、
工場の設置計画を練った
 
そして、初代工場長となる尾高惇忠(栄一の親戚)と共に
工場の建設現場を取り仕切り、巨大な製糸場を完成させた
 
 
直1872年に完成した官営・富岡製糸場はその後民営化され、
片倉工業という繊維系会社の所有物となり、
1980年代後半まで片倉工業の富岡工場として長く稼働し続けた。
 
1980年代に稼働が停止してからは
2005年に一部が富岡市に譲渡されて富岡市によって管理される事に。
 
 
そして2006年に重要文化財に指定され、
2014年には世界遺産に登録されたという歴史をもつ。
 
 
 
 
 

 

 
 
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