ドン小西って本当はどれくらいすごいデザイナーなの?

 
 
2000年代前半から、元気で明るいタレントとして活躍しているため
タレントとしてしか見られていない傾向のドン小西さんながら、
彼が昔、一体どれくらい偉大なデザイナーであったのか、
知りたいかたのために、小西さんのキャリアをご紹介します。
 
 


 
 
"ドン小西"こと小西良幸さんは1950年に三重で
呉服店を営む家庭の息子として誕生。
 
その後、東京の文化服装学院にて
同級生だった津森千里(tsumorichisatoデザイナー)などと共に
ファッションデザインを学び、卒業後は某メーカーに勤務。
 
その後独立し、1980年に「株式会社フィッチェウォーモ」という自身の会社を設立。
 
1985年に東京コレクションが発足すると、
東京コレクションにおいて川久保玲・山本耀司などと共にトップデザイナーとして活躍。
1987年には「YOSHIYUKI KONISHI」というブランドも立ち上げ、
東京コレクションのメンズ系デザイナーの頂点に立つ存在となる。
 
色鮮やかな刺繍を施したニット作品が高い評価を受け、
当時はビートたけしなどのタレントも彼の作品を着用していた。
さらに海外にもその名は轟き、トップデザイナーに作品をコピーされる(ある意味光栄な事)など、様々な現象が起こる。
 
その他、細かい時期は不明ながら
パリのトップメゾン「CHANEL」のオートクチュールチームが
彼の仕事ぶりを視察に来るなどの出来事も起きた。
 
 
そして、1991年にはコムデギャルソンの川久保玲などに続いて、
「毎日ファッション大賞」という
日本人ファッションデザイナー界最大級の栄誉とされる大きな賞を受賞。
その勢いの中で、1990年代半ばまで東京コレクションにおける
中心的な存在としてさらなる活躍を見せる。
 
海外進出への期待が高まる中、
1997年には遂にNYコレクションに初参加し、
翌1998年には毎日ファッション大賞と並ぶ
国内最大級の賞「FEC賞」を受賞し、2冠を達成。
 
海外でのさらなる活躍が期待されていたが、
海外で活動する一方で日本の会社ではその時期に様々な財務問題が発生。
 
それによりNYコレクションだけでなく
東京コレクションからも撤退し、
2000年前後は借金返済問題に苦しむ毎日を送った。
(この借金問題により、トップデザイナーとしてのキャリアに実質的なピリオドが打たれた)
 
 
その後、2000年代からはトップデザイナーとしてのプライドを捨てて
タレントとしてがむしゃらに頑張り、巨額な借金を返済。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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