福沢諭吉のひ孫はレーサー兼デザイナーとして活躍した

 
 
1万円札に登場する人物として故公文の間で広く知られてきた
福沢諭吉は、幕末から明治時代にかけて様々な形で活躍した。
具体的には「学問のすすめ」という書物を大ヒットさせたほか、
慶應義塾大学を立ち上げるなど数えきれないなどの功績を残す。
 
そんな彼は明治34年に死去するが、
孫である福沢進太郎とギリシャ人の妻であるアクレヴィの長男で、
1943年に誕生した福沢幸雄(諭吉のひ孫)は、
成長してから自らのひいおじいさん(=諭吉)が創設した慶應義塾大学に入学。
 
在学中からキャンティという流行りのイタリアンレストランで
各界のスター達と交流を深める一方で、レーシングドライバーとして活動をスタートさせた。
(このキャンティという店を通じて、日本人パリコレモデルの草分けとして知られる松田和子との仲を深めた)
 
卒業後はトヨタの専属ドライバーとして活動しはじめ、
トップドライバーとしてレースに出場する一方、
テストドライバーとしてトヨタの施設でのテスト走行に励むようになった。
 
ただし、レーシングドライバー1本で活動していただけでなく
抜群のルックスをいかしてモデルとして活動していたほか、
多彩な能力を活かしてファッションデザイナーとしても活躍していたというキャリアをもつ。
 
 


 
1960年代にレース界とファッション界で活躍した幸雄だったが、
1969年2月にテスト走行中の事故により、25歳の若さで死去した。
 
 
 
 

 

 
 
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