大学を出てから服飾学校に入った歴史をもつ主なデザイナー
服飾分野で成功してきた日本のデザイナーの大半は、
高校を出てからすぐに服飾専門学校に入学した歴史をもつ。
ただし、それがすべてではなく、大学を出てから服飾学校に入り、
服飾学校卒業後に国内外で活躍している人物も少なからず存在する。
主な該当人物
森英恵 | 大学時代に学生結婚し、卒業後は一時専業主婦をしていた。そんな中、子どもや旦那の服を自分で作ってあげたいと思い、ドレスメーカー女学院で様々な事を学んだ。その後、新宿に店をオーブンし、映画製作の仕事で活躍。1965年からはNYやパリにて約40年間に渡って世界的なデザイナーとして活躍。 |
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松田光弘 | 1934年生まれ。松田氏が高校を卒業した時点では、まだ文化服装学院は男子生徒を受け入れていなかった。そんな松田氏は地元・東京の早稲田大学を卒業したのち、男子生徒を受け入れ始めた文化服装学院(早稲田大学付近)のデザイン科に入学。5つほど年が離れた高田賢三やコシノジュンコなどと共に服作りを学ぶ。卒業後は賢三とのパリ旅行を経てニコル社を設立し、国内外で活躍した。 |
山本耀司 | 1943年生まれ・東京都の新宿出身。都心の慶應義塾大学を卒業したのち、"出来る限り社会に出るタイミングを遅らせたい"などの理由から、実家の付近にある文化服装学院に入学。そんな山本氏は装苑賞を受賞し、卒業後は1980年代前半にパリコレへ進出して世界的デザイナーとして活躍。 |
安部兼章 | 1949年生まれ。1977年に中央大学を卒業したのち、文化服装学院のファッションデザイン科に入学。そして装苑賞を1980年に受賞している。1980年代半ばから「KENSHO(のちのKENSHO ABE)」という自身のブランドを通じて東京コレクションのトップデザイナーとして約15年間活躍。清水エスパルスの初期の印象的なデザインのユニフォームのデザイナーとしても有名。 |
鈴木慶子 | 1953年生まれ。1990年代における東京のトップデザイナー。学習院大学の「経済学部」を卒業したのち、ニヘイ服飾研究所入り。1991年に「KEIKO SUZUKI」ブランドを立ち上げて東京にて活躍 |
白浜利司子 | 1956年生まれ。1979年に成蹊大学の「文学部(英米文学科)」を卒業したのち、バンタンデザイン研究所にて1年間に渡り、服作りを学ぶ。卒業後は「RITSUKO SHIRAHAMA」ブランドを立ち上げて1988年から2014年まで東京コレクションのトップデザイナーの座に君臨。 |
井田昭子 | 1965年生まれ。女子美術大学を卒業したのち、文化服装学院に入学。その後、「AKIKO IDA」ブランドを立ち上げて東京コレクションのデザイナーとして活躍 |
[その他] | 公式的には公表されていないものの、川久保玲(コムデギャルソン)氏は、慶応大学の 「文学部」を出て旭化成で数年間勤務していた人物。そんな川久保氏は、時期こそ不明ながらまったく服飾教育を受けていないわけではなくセツ・モードセミナーに在籍していた時期がある事が判明している。 |
国際的デザイナーのパイオニアである森英恵氏が、
何も服作りを知らない専業主婦からドレメを経て世界的デザイナーへと成長したのは、とても興味深い話。
大学中退後に服飾学校入りした人物
高田賢三 | 高校を卒業して神戸の大学に進学していたが、東京の文化服装学院が女子だけでなく男子生徒も受け入れている事を知り、一念発起して大学を中退し、上京して同校に入学。卒業後は1965年からパリで活動し始め、1970年代から世界最高クラスのプレタポルテデザイナーとして活躍。 |
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大野隆 | 1957年生まれ。名門の立命館大学を中退して大阪モード学園に入学。卒業後は渡仏して当時の世界最高ランクのデザイナーであるクロード・モンタナのもとで働いた。その後、パリと東京にて長くデザイナーとして活躍。 |
[参考文献]
- 東京コレクション公式サイト
など
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