渋沢栄一は金融/鉄道業だけでなく繊維業とのゆかりが深い人物
渋沢栄一は国内で明治・大正時代にたくさんの会社・組織の立ち上げに関与して
近代日本経済の発展に大きく貢献してきた人物。
関与した会社・組織に関しては
- 銀行/金融系
- 陸運/海運系(鉄道会社など)
が多い傾向で、この分野の知識に長けた人物と思っている人も多いと言われる。
ただし、彼には他にも深いかかわりのある業界が存在した。
それは繊維・アパレル業界。
江戸時代末期、"深谷ねぎ"というブランドで有名な
埼玉県深谷市の農家の家に生まれた彼であるが、
実家は畑作だけを行う典型的な農家でなく、
- 養蚕業(シルク糸を出すカイコ関連)
- 藍玉(染料)の製造・販売(藍染関連製品)
も行っていた環境にあり、繊維業の家に生まれたという反面ももつ。
そんな彼は実家の手伝いとして養蚕や藍玉に関する仕事をしていた。
特に10代半ばから20代前半にかけては学問に励む一方で
藍に関する実家の仕事の手伝いに本気で取り組んでいた時期がある。
そういった背景がある中、明治自体に入って大蔵省の職員として働いていた頃、
当時の日本にとっての大きな輸出品であった絹糸を大量生産するため
深谷市からもほど近い群馬県富岡市の官営の製糸場を建設する事が決定すると、繊維業に関する知識に長ける事が絡んで、
この施設の設置主任の1人に任命され、
富岡製糸場の立ち上げに大きく貢献した。
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