「KENZO」というパリの世界的ブランドには何故日本人の名前が付いているの?

 
昔の事をまったく知らない10代・20代くらいの若い人達が疑問に思うと言われる、上記の疑問にお答えします。
 
 


 
 
 
「KENZO」というパリの世界的なブランドは、
日本人がデザインをしているわけではありません。
 
21世紀に入ってからは

  • アントニオ・マラス(イタリア人)
  • ウンベルト・リオン&キャロル・リム(アメリカ系デザイナーデュオ)

などが手掛けてきた歴史を持ち、日本人は関わっていません。
 
LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループに属するブランドで、
日本発祥ではなくパリ発祥の海外ブランドです。
 
では、何故「ケンゾー/KENZO」という日本人男性的なブランド名なのかというと、それは創業者が日本人であるから。
 
 
具体的には
1939年に兵庫県姫路市で生まれ、
絵画や地元で活躍する宝塚歌劇団をこよなく愛する少年として育った
高田賢三(たかだけんぞう/KENZO TAKADA)
という人物が創業者。
 
 
その高田賢三氏は東京・文化服装学院という専門学校を卒業したのち、
社会人として日本で活動を開始。
しかしパリへの思いが強くなってきたため、
1964年に友人と共に船でパリへの長期旅行に向かう。
現地に着いてからパリの凄さに圧倒され、
当初は半年程度で日本に帰る予定だったものの、
予定を変更してパリで活動していく事を決めた中、
ルイフェローという当時の世界的なデザイナーの店に
スケッチ画をもって行ったところ、その絵が高い評価を受け、
それがきっかけとなり、パリに居座る事に成功。
 
下積み生活を経て1970年には「JUNGLE JAP」という自身の店をオープン。
その後、合同ショー参加などを経て
自らのファーストネームを冠した「KENZO」というブランドで
1973年からパリコレのプレタポルテ部門にデビュー
 
そして、イヴサンローラン、ソニアリキエルなどと共に
オートクチュールに替わって人気が出てきたプレタポルテの世界で
世界最高ランクのデザイナーとして長く活躍。
 
1980年代後半あたりからブランドの買収合戦が活発になる中、
1993年にはLVMHの傘下に入ったがデザイナーを引退する事はなく、
1999年までKENZOのデザイナーとして活動。
ラストショーのショーは極めて大規模に開催され、
いかに高田氏が世界的に尊敬されている人物であるかを伺わせた。
 
引退後、2000年以降は絵画活動など幅広く活躍。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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