バブル期から日本ブランドはパリコレ全体の2-3割を占めてきた
例えば、世界の映画界や音楽界において、日本の地位は決して高いとは言えない。
その一方で、服飾分野の世界最高峰であるパリコレクションにおいては
日本のブランドがかなりのシェアを占めている事で知られる。
では、どれくらいの割合かと言うと、
1970年代前半の時点でパリコレに進出していたのは
- KENZO
- ISSEY MIYAKE
KANSAI YAMAMOTO
くらいのもの。
その後、1980年前後のコシノ3姉妹の長女と次女や
共に慶応大学出身という経歴をもつ山本耀司や川久保玲なども参加し出す。
日本経済がピークを迎えてアパレル業界全体に
潤沢な資金を抱えていた1990年前後にはさらに日本ブラントが増え、
この時点でパリコレ全体の2割程度を占めるようになった。
1990年前後の主な参加日本ブランドは
- KENZO
- ISSEY MIYAKE
- KANSAI YAMAMOTO
- YUKI TORII
- HANAE MORI
- JUNKO KOSHINO
- JUNKO SHIMADA
- COMME DES GARCONS
- Yohji Yamamoto
- JIN ABE
- KIMIJIMA
- ZUCCA
など。
1990年代に入っても日本ブランドの参入は相次ぎ、
2000年代に入ると、プレタポルテの公式日程全体において
最大で3割近くを日本のブランドが占めるようになる。
(1990年代後半以降は、KEITA MARUYAMA、TSUMORICHISATO、UNDERVOVER、mina perhonenなどが新たに新規参入)
4大コレクション開催国以外の中では際立った数字となっており、
様々な世界的ブランドを輩出してきたベルギーを上回る数値だけに
この"約3割"という驚異的な数値は様々なところで話題になってきた。
しかし、2010年代に入ってからは再び数が減少していき、
パリコレ全体の中の日本ブランドが占める割合は減少傾向。
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