海外ブランドでデザイナー/スタッフとして活躍した日本人が知りたい

 
日本人デザイナーや業界人の中には、
例えば自分のブランドを立ち上げる前に海外にて
有名ブランドでアシスタント/チーフデザイナーやスタッフとして
働いていた経歴をもつ人が意外と多く存在します。
 
そういった経歴をもつ主な日本人を紹介します。
 
 
 

松本弘子

ピエール・カルダンからの熱心なオファーを受け、1960年に渡仏。そして、ピエールカルダンの専属マヌカンとしてショーに出演するなど、同ブランド内で様々な形で働く。外部の人間ではなく専属で常駐していたという意味では、ブランドにとって立派なスタッフの一人と言える。

吉田ヒロミ

1965年に渡仏して三宅一生よりも前に日本人としてはじめてGIVENCHY入り。そしてアシスタントとしてアトリエで活躍し、オードリー・ヘップバーンなどの最上位顧客達を担当していた。

三宅一生

1960年代半ばに渡仏し、ジバンシーやギラロッシュのスタッフとして修業を積む。その後1969年にはアメリカに渡り、今度はジェフリー・ビーンのもとで働いた歴史をもつ。帰国してから1973年にパリコレデビュー。

島田順子

1967年に渡仏して現地で百貨店関連スタッフとして活動したのち、1975年から「キャシャレル」のチーフデザイナーとして活躍した。その後独立してJUNKO SHIMADAを立ち上げてパリコレにデビュー。

前田徳子

1975年に渡仏し、当時のパリコレトップブランド「DOROTHEE BIS」のアシスタントとして勤務。その後、1980年にはイタリアのマックスマーラ社と契約し、セカンドライン「SPORTMAX」のチーフデザイナーとして7年間活躍。その後、レナウンと提携して「TOKUKO 1er VOL」を立ち上げた

阿部尋一

杉野ドレスメーカー女学院を経てパリに移住し、1977年から1984年までウンガロのスタッフとして活動。その後、独立して「JIN ABE」を立ち上げ、パリコレにて長く活躍した

福島紀子

日本の専門学校を卒業したのち若い頃に渡仏し、クリスチャンディオールのスタッフとして活動していた時期があり。その後、帰国し「NORIKO FUKUSHIMA」ブランドにて東京コレクションで活躍。

大野隆

1980年に大阪モード学園を卒業したのち渡仏し、当時世界最高ランクのプレタポルでデザイナーの一人であったクロード・モンタナ氏のアシスタントとして4年間働いた。その後帰国し、東京コレクションにてトップデザイナーとして活躍。

瀬田一郎

1986年に東京モード学園を卒業したのち渡仏し、ジャンポールゴルチエの下で勤務。その後、デザイナーとしてミラノコレクションにデビューした

芦田多恵

1980年代半ば、留学地に元JUN ASHIDAスタッフのクリスチャン・ラクロワがデザイナーをしていた「Jean Patou」にて研修を積む。1987年にはNYのニコル・ミラー社でも研修を積んだ。その後、帰国してMISS ASHIDAのデザイナーとして活躍し出した。

荒川眞一郎

1991年に渡英し、クリストファー・ネメスのアシスタントとして1年間活動。

木下美伽

東京モード学園を卒業してから1992年にイタリアに渡り「マウリツィオ・ガランテ」にてアシスタントデザイナーなどを経験。1996年に帰国してから「IO SONO IO」を立ち上げて東京コレクションに参加。

田中崇順

セントマーチンズ在学中からジョン・ガリアーノのもとで経験を積んだ時期があり

砂壁宜男

1988年に桑沢デザイン研究所を卒業したのちイタリアに渡り、ミラノやパリにて世界的デザイナーとして活躍したロメオ・ジリのアシスタントとして2年間活動。

中島篤

名古屋の専門学校を卒業したのち某企業に就職。在世時に応募した「第20回・オンワードファッション大賞」でグランプリを獲得したところ、その賞の審査員でオンワードとの関係が深いジャンポール・ゴルチエからオファーを貰う。それを受けて渡仏し、2004年からゴルチエ直属のアシスタントとして大活躍。さらには2009年からは2年ほど、ゴルチエのセカンドライン(ディフュージョンライン)のヘッドデザイナーとして活躍。帰国後に自身のブランドを立ち上げてミラノコレクションに進出。

勝井北斗

mintdesignsデザイナーの一人。ロンドンのセントマーチンズ卒業(首席で)後にフセイン・チャラヤンのアシスタントとして活躍

森川マサノリ

CHRISTIAN DADAを立ち上げる前にロンドンで修業を積んでいた頃、当時大きな注目を集めていた「シャルル・アナスタス」のアシスタントとして活躍

有働幸司

FACTOTUMデザイナーとして活躍したのち、2017年にはイタリアの「コスチュームナショナル」メンズディレクターに抜擢

赤坂公三郎

1984年生まれ。ロンドンのセントマーチンズやNYのパーソンズを経て、トム・ブラウンのメンズデザイナーとして活動。その後、2017年に自身のブランドを創設

中井英一朗

文化服装学院などで服作りを学んだのち、ヨウジヤマモト入りしてパタンナーとして塚役。その後、英国にてアレキサンダー・マックイーンの2代目デザイナーであるサラ・バートンに気に入られ、同ブランドの主要スタッフとして活躍。

江角泰俊

まずロンドンのセントマーチンズ在学中にアレキサンダー・マックイーンのもとでコレクションスタッフとして働いていた時期があり。卒業後はアクアスキュータムでも働く。その後帰国し、自身のブランド「EZUMI(旧YASUTOSHI EZUMI)」デザイナーとして国際的に活躍したのち、2017年にコスチュームナショナルのウィメンズディレクターに抜擢

小野原誠

2003年秋にアントワープ王立芸術アカデミー入りしたが、ロンドンのトップブランド「Bora Aksu」に引き抜かれ、わずかな期間で同校を中退。そして2004年からBora Aksuでチーフパタンナーとして活躍

三木勘也

アントワープ王立芸術アカデミーを出てからウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのもとで活動。さらにパリの「ジョン・ガリアーノ」でも働いた経歴をもつ

瀬尾英樹

アントワープ王立芸術アカデミーを首席で卒業したのち、パリにて1980年代に世界的に活躍した伝説のデザイナーある、アズディン・アライアのもとで働く

村田晴信

エスモードジャポン東京校を卒業したのちイタリアに渡り、現地の大学に入学。在学中からパリやミラノで注目される新人となり、卒業はジョンリッチモンドやジルサンダーといったミラコレブランドでデザインチームの一員として勤務。そして2018年に自身のブランド「HARUNOBU MURATA」を立ち上げて2020年2月にミラノコレクションデビュー。

△小篠ゆま

小篠弘子の娘。コネのない人達派とは違ってコネありながら、若い頃に小篠家とゆかりの深い高田賢三のアトリエ(パリ)や、叔母であるコシノミチコ(ロンドン拠点)のもとで研修を積んだ時期がある。

 
 
古い年代で言うと、前田徳子さんや島田順子さんのキャリアが目立ちます。
近年で言えば、江角泰俊さんや中島篤さんが華麗なキャリアを築いてきた。
 
 
 

 

 
 
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