柳井正は若い頃にジャスコ(のちのイオン)の社員だった
ファーストリテイリング(旧小郡商事)の柳井正氏は、
ファッション分野だけでなくあらゆる分野の会社を含めても、
世界有数の経営者として扱われている。
そして、父が山口県で興した小郡商事を継いで
ユニクロ、そしてファーストリテイリングを世界的な存在に
育て上げた事で知られるものの、東京の早稲田大学を卒業したのち、
そのまま山口に帰郷して父の会社に入ったわけではない。
大学4年生の頃に進路で迷っていた柳井氏は、
父の勧めでジャスコ(のちのイオン)に入社する事になり、
1971年春に早稲田大学を卒業すると株式会社ジャスコ株式会社で働き始めた。
しかし、柳井氏は当時の若者同様に自由主義の若者で、
今とは違って働く事に意欲をもてなかったため、わずか約9カ月で退社。
なお、在籍時はジャスコにて家業とも関連がある紳士服の売り場に立っていた時期が実際にある事も判明している。
1年足らずでジャスコ(株)を辞めてからは、
友達の家に身を寄せてしばらく東京にて何もしない生活を続ける。
(インタビューではよく、"いわゆるヒッピーの状態だった"と語っている)
しかし、身を寄せる友達が忙しく働いている中、
何もせずにプー太郎生活をしている自分に嫌気がさし、
東京を離れて山口に戻り、1972年8月(大学卒業の約16カ月後)に小郡商事に入社。
翌9月には同社の取締役となり、紳士服事業に従事。
その後、紆余曲折を経て1984年には父を継いで
小郡商事の社長になったほか、ほぼ同時期にユニクロ事業をスタート。
ユニクロ事業が始まった頃は「ロードサイドの倉庫型店舗」
を基本としていたが、どんどん出店先が広がっていき、
そのうちにジャスコ(株)から社名変更したイオン(株)関連の大型商業施設
「イオンモール」が主要出店先となった、という面白い道を辿る事になった。
ジャスコ社員時代はまったく会社の役にたてなかったが、
今ではイオンモールの超人気テナントとして
イオン株式会社に対し、ユニクロやGUは大きな利益をもたらしている。
[主な参考文献]
ファーストリテイリング公式サイト
早稲田大学公式サイト
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