多忙なカールラガーフェルドは最大で同時に何ブランドのデザイナーをしていたか?
2109年初めに亡くなった世界的なドイツ人デザイナー、
カールラガーフェルドは生前、際立って多忙な人物として知られていました。
そして、
「一体、最大で同時に何ブランドのデザイナーをしていたか?」
という疑問をもつ人が多いと言われているので、
各ブランド公式サイトのデータなどを元に、情報をまとめました。
1933年にドイツで誕生したカール・ラガーフェルドは、
1954年に「International Wookmark Prize」の前身となる賞の「コート部門」を21歳で受賞。
それを機にピエール・バルマン入り。
その後、ジャン・パトゥのスタッフを経て、
1964年にはパリのメゾン「Chloe」のデザイナーに。
さらに1965年からは、FENDIのデザイナーに就任(亡くなるまで関係は続く)。
ここから2ブランドをかけもつ生活が長く続きます。
時を経て
1983年にはパリのシャネルの新デザイナーとなり、
翌1984年には自身の名を冠した「カール・ラガーフェルド」を設立し、
更に多忙な状態に。
一方で、1980年代半ばには一度、クロエから離脱。
しかし、1992年にクロエのデザイナーに復帰した事により再び、
- Chloe(パリコレ参加)
- FENDI(ミラコレ参加)
- Chanel(パリコレ参加)・・・・・プレタポルテ&オートクチュール両方
- KARL LAGERFELD(パリコレ参加)
4ブランドをかけもつ超多忙な状態に。
1996年にクロエから再び離脱するまでこの状態は続きましたが、
ステラ・マッカートニーにChloeを任せた事により、
- FENDI(ミラコレ参加)
- Chanel(パリコレ参加)
- KARL LAGERFELD(パリコレ参加)
3ブランドに減少。
2000年代後半あたりには「カールラガーフェルド」というブランドが
パリコレには参加しなくなったほか規模が縮小され、
2010年代に入ってからはコレクションに関しては
- FENDI(ミラコレ参加)
- Chanel(パリコレ参加)・・・・・プレタポルテ&オートクチュール両方
をかけもつ状態となりました。
(FENDIに関してはシルヴィア・フェンディとの2人体制)
まとめると、スーパーモデル全盛期の1990年代半ば、
カール氏が60歳前後だった頃は間違いなく
- Chloe(パリコレ参加)
- FENDI(ミラコレ参加)
- Chanel(パリコレ参加)
- KARL LAGERFELD(パリコレ参加)
4つのビッグメゾンのデザイナーを兼任していた時期があり、
この数は世界最多と言われています。
(2つのブランドの兼任に耐えられず、どちらかを退任するケースが多い)
[補足]
細かく言うと一時、「KL」という小規模ラインも展開し、
こちらはショーを開催したりししていないものの、
4つではなく5ラインをデザインしていた時期もわずかにある模様。
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